霜降り明星の優勝で幕を下ろした2019年のR−1グランプリですが、2つの問題点が話題となっています。
1つは審査員からの投票が同点になった場合のレギュレーション。
多くの審査員から投票された人が勝ち抜けとなっていましたが、これだと2番目に面白かった人が勝ち抜けることになってしまいます。
粗品のネタは面白かったですし、優勝に相応しいのは間違いありませんが、このR−1でしか見ないようなレギュレーションのせいでスッキリしない結果となってしまいました。
そして、もう1つがネット上でも話題となっている「ネタを破壊する観客の悲鳴問題」です。
R-1の客。。。
— 松本人志 (@matsu_bouzu) 2019年3月10日
R−1グランプリ観客問題
今回のR−1グランプリにおいては、ほぼ全てのネタで「きゃー」「わぁー」「おぉー」といった悲鳴や感嘆の声があがっていました。
特に酷かったのは敗者復活から勝ち上がってきた岡野陽一の時で、鶏肉を風船で浮かすというシュールなネタを披露すると悲鳴の連発。
もはやネタが頭に入ってこないほどで、かなり不快でしたね。
悲鳴が上がると、どうしても一呼吸おく必要があるため、ネタのリズムを壊す要因ともなります。
今回のR−1グランプリでテンポの悪いネタが多かったのは、この問題と無関係ではないでしょう。
最後まで放置したのは正解なのか
難しい問題ではありますが観客の悲鳴は最後まで放置されましたね。
最初に気になったのは、2本目のネタとなるクロスバー直撃の前野の場面。
小道具を使ったボケに対して不自然なぐらい大きな女性の声で「えー」や「わー」が聞こえました。
この時点でR−1を放送するフジテレビには観客に注意を入れる、マイクの位置を調整するなどの選択肢があったと思います。
それでも最後まで放置したのは、好意的に見れば出演者の不公平にならないように配慮したとも取れますし、また会場の空気を冷やさないようにしたとも言えます。
結果として視聴者は冷めきることになりましたが、これが正しかったかどうかは疑問です。
R−1の空気作りについて
以前にも書いた事がありますが、お笑いコンテストの中でもR−1グランプリは空気が軽い気がします。
それは良い意味ではなく、コンテストとしての重厚感に欠けているという意味で、です。
司会進行を務める雨上がり決死隊(主に宮迫博之)のネタ後のコメント(こんなん、どうやって審査するねん等)は決してコンテスト向けではなく、また審査員も空気に重さを与えることが出来る芸人は皆無。
本来なら雨上がり決死隊、または桂文枝が担う役割なのですが、このあたりがM−1やキングオブコントとの違いかも知れません。
ただキングオブコントも過去の予選において、うしろシティの登場時に悲鳴に近い歓声があがったため会場の空気が壊れてネタがウケないということがありました。
決してR−1特有の問題ではないのでしょうが、あれだけキャリアがある芸人が揃っているのですから何か空気を戻すことが出来たならと思います。
R-1の観客への芸能人の反応
R―1見ました。
粗品くんの二冠は凄いですな。
おめでとうございます。個人的にはCブロックが熱かったです。
そして、やっぱり、賞レースでのテレビ観覧客の過剰な反応は邪魔ですな。
おもしろい時に笑うだけでいい。
全員おもしろいネタをやったんだからさ。— キートン (元、増谷キートン) (@masuyakeaton) 2019年3月10日
ウケたのに予選落ちしたとして運営を批判しているキートン。
ネタはシュールを極めていますがTwitterでは結構まともですね。
決勝進出していれば一番の悲鳴をあびていたと思います。
お笑い番組で悲鳴ださないでほしいなあ
— きゃりーぱみゅぱみゅ (@pamyurin) 2019年3月10日
まさにそのとおり。
他の観客への迷惑とか考えられないのか疑問です。
観客問題に思う審査員と視聴者のズレについて
観客の悲鳴など邪魔な声を排除出来なかったのはともかく、それをテレビでも同様に流し続けたのはフジテレビの失態です。
ただし、この失態により気付いたことがあります。
それは今までのお笑いコンテストにおいて視聴者の感想や評価と審査員の採点とが大きくズレるのは、ひょっとして会場の空気が画面から見える物と違うのではないかというもの。
昨年のM−1グランプリでは特に前半に登場したコンビに対して厳しい採点が行われました。
かまいたちやスーパーマラドーナなどは、もう少し点が入ってもと思いましたが、かまいたちの山内がネタ後に舞台裏で語った「ボケに対して笑いを引きずらない」という言葉はテレビで見る限りは感じることは出来ませんでした。
ひょっとすればR−1グランプリで発生した悲鳴等の邪魔な声も、マイクの置いた位置が問題なのであって会場では、そこまでだたったのかも、、、
でもネタを披露する芸人の反応を見るとそうではなさそうですね。
M−1に始まった、お笑いコンテストのショー化は多くのお笑いファンを生み出したと思いますが、同時に「お笑いコンテストでの作法」についても普及させる必要があるかも知れません。
この辺りが、もっともっと当たり前に慣れば良いと思う限りです。
だって腹の底から笑いたい!